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JRが国鉄と呼ばれていた「ちょっと昔」に戻ってカズ少年が鉄道の旅へご案内
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急行だいせんの窓のすぐ外で青春18きっぷのチラシを受け取る板倉君

当然ながら、「よくわかんないけどありがとう」と言ってちょっとにっこりした。

あのチラシは今どうなっているかな。まだ持っていたらすごいことだ。


こうしてDD51の響きが聞こえ、急行だいせん号は出発。

あぁ、思い出の米子駅。そしてひと夏の友、板倉君

僕の高校2年の夏の思い出、ありがとう。


車内にはふたたび倉吉までの快速運転の利用客がたくさんいて、

通路を埋めるほどいっぱいに立っていた。

なんだかちょっと、昔の疎開列車のような雰囲気もあると感じたが、

学生の自分がこうして座れているのだからそれも違うかな?

なんて、色々考えながら倉吉駅までの鉄道旅行を楽しんだ。


まもなく正真正銘の急行だいせん号になる快速列車。

米子から東側の区間においては、実質的に終電的存在なので

日付が変わる前の倉吉駅に到着するまでは大混雑列車だ。

でも僕は座席で左の車窓を眺めて鉄道旅行最後の夜を楽しんでいた。


赤碕駅を過ぎたあたりから海の向こうに漁火が見える。

日本海の水平線というイメージどおりの感じがある。

だが、線路は徐々に内陸に入り、海は視界から消えた。

やがて線路が響く天神川鉄橋を渡り、速度を落とし倉吉駅に到着。


大混雑の車内で立っていた人たちはここ倉吉で一人残らず降りた。

こうして、まるで別の列車になったかのような「急行だいせん号」。

すっかり落ち着いた車内で一転して静かな夜が始まった。


倉吉駅を出てすぐ、左側に波立つ水面が見えた。

あれっ?また海に出たん?と一瞬思ったが、それは東郷池だった。

停車した松崎駅の手前と向こうでは線路から東郷池が見え隠れ。

向こう岸の温泉ホテルの灯りが奇麗だったがすぐ見えなくなった。

それと同時に日付が変わり、最後の夜はついに最終日に突入した。


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先頭に立つDD51の汽笛が鳴り、米子駅に滑り込んだ急行だいせん。

ホームにも、車内の通路にもたくさんの乗客の姿がある。

この駅から普通ではなく快速扱い で指定席が有効になるからか、

座席を立ち上がる人が非常に多かった。

満員状態の列車が幾らか静けさを取り戻すのだろうか?


列車が止まりかけた頃、改札のところにどこかで見た顔の人が・・・・

「あ、板倉君だ!」

驚いたことに、隠岐の島・布施村で一緒に過ごした板倉君が来てくれたのだ。

どうやら僕の帰りの列車を「隠岐の親友」に尋ねて確認までとっていたらしい。


僕は急いで駆け降りた。

「うわぁ、来てくれたん?」

「そうそう。ここは急行が長く停まるし、一緒にラーメン食べに行こうよ」

そう言って、駅を出て右の方にいった所の店に僕を案内してくれた。

まだひと月も経っていない、隠岐での思い出話に花を咲かせ、

おごってくれたラーメンを並んですすりながら20分程の時を過ごした。


あぁ、あっという間にお別れのときが来たなぁ。

思いがけず会えた友との再度の別れに予想外の寂しさを感じながら

急行だいせんに乗り込み、出発時間をカウントダウンした。

こういうときに12系客車はすごくいい。

ちょっと遠慮がちにではあるが、窓を開けて最後の瞬間まで言葉を交わす。

「なにかプレゼントできる物ないかな」 とカバンの中を探ったが、

見つかったものといえば駅でもらった青春18きっぷチラシくらい。

僕はそれに小さくサインして窓から手渡した。「これ、あげる」

最も鉄道旅行らしいアイテムだったかもしれない。


青春18きっぷ-1987







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松江とお別れの夜、藤田さんは親切に駅まで車で送って下さった。

おかげで、松江駅前で自転車を解体したり輪行袋を広げたりせず、

ただ荷物を肩から下げてまっすぐ改札に向かうことができた。

藤田さんにありったけの感謝と別れを告げ、通路を進んだ。



改札口の前にある窓口で手回り品切符を発行してもらったが、

手書きのもので、車内販売切符の色違い版という感じだった。

輪行・鉄道旅行の必需品「手回り品切符」

現在では自転車を載せるのに手回り品切符は不要だそうで、

この切符を使っていたのも、ちょっと昔の話だ。


さて、その後階段を昇ったが、旅行に出た時にあれほど痛かった

日焼けの肌もすっかり冷めて痛みはすっかり消えていた。

つまり、それだけ長い時間が経過した旅行だったんだと実感。


この階段は痛みではなく疲労のためちょっと長く感じたが、

僕の乗る4号車がちょうど真ん中あたりだったため、ちょうどの位置。

階段を上がってすぐだったので本当にホッとした。

やはり、長い旅行の最終日に自転車で日御碕まで往復したのは

ちょっと過密スケジュールだったかもしれない。


そうして荷物をホーム上に置き、急行だいせん号の到着を待ったが、

そんな僕の隣りにはあの自販機があった。

そう、興味がわいただけで手は伸びず、実際に買うことのなかった、

二十世紀梨ドリンクの自販機だ。こいつとももうお別れだ。



松江駅ホームの上で出雲市方面をじっと見つめていると二つの灯り。

遠くから見えてきたのはやや低い位置のライトだ。

そう、DD51機関車に違いない。急行だいせん号の到着だ。


ブオォォォーーーンと機関車が大きなエンジン音を響かせたのに続き、

12系客車が入ってきた。6号車から1両・・・2両・・・・・・3両。

4号車がちょうど目の前で止まり、3号車以降の14系寝台は

チラッと見えただけだった。


まずはいつも通りデッキの手すりに輪行袋をくくりつけ、しっかりと固定。

自転車が倒れないようにしたら、今度は自分の座席に行かなければ。

8番A席・・・・あ、ここか。えぇ~~っ!人が座ってる!

そうだ、米子駅までは自由席なのだということにここで初めて気付いた。

この列車には通勤客など、様々な人が乗車して混雑。

仕方がないのでその近くで偶然にも空いていた席に一時的に座って

米子に着くのを(または空席になるのを)じっと待つことにした。

ちょっと盲点だった指定席事情。長旅にはちょっと辛いものがある。


しかし、ありがたいことに安来駅を出て気が付くと、

僕の指定席はすでに空いていた。どこかで降りられたのか。

それで米子駅到着の一足先に自分本来の席に移動できた。

ホッとして、大きいカバンを棚に上げ、小さなポーチだけ

手に持って座りながら夜の景色を見つめた。

時刻表を開いて米子駅での停車時間を確認した。到着は22:04。

そして、出発は22:42。つまり停車時間は38分と長い。

これはもう一度ゆっくり米子駅での時間を味わえる!

そう思いながら米子に到着するのを待った。




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松江の藤田さんのお宅で、この旅行中最後の夕食をご馳走になり、

僕は荷物をまとめて最後の帰り支度を整えていった。


今夜の宿泊場所はもちろん急行だいせん。去年のような号数はない。

昨年は6号だったが、今は昼行が全廃、夜行一往復だけになったのだ。

そして昨年乗った、高天井で、ちょっとリッチ気分の20系客車

もう置き換えられて、座席車は12系急行型客車に変更された。

ちょっと昔のヒーローから、分相応の車両に代わったというわけだ。


一方、寝台車両の方はブルートレインの14系寝台。分不相応?

いろいろと変化があった急行だいせん号ではあるが、

僕にとっては、大好きな客車列車で鉄道旅行を楽しめるだけで満足だった。




この急行だいせん号の詳細についてもう少し補足したいと思う。

当時の編成は6両で、大阪側から自由席が1両、指定席が2両。

そしてB寝台車が3両という編成だった。

12系客車にはテールマークを掲げる幕がなかったのだが、

内照式の箱のようなものが設けられて、絵入りテールマークが用意された。


そして、列車の始発駅は出雲市駅だが、米子駅までは普通列車、

さらに米子から倉吉駅までは快速列車扱いとなっていた。

どうやら、これらの区間では鉄道旅行者だけでなく、通勤目的もある様だ。

そのためか、指定券をよくみると松江からではなく米子からの指定席。

つまり、乗車駅である松江駅から米子駅までは自由で快速扱いと同時に

指定席が有効になるということのようだ。


しかし、僕はこの事実に実際に急行だいせん号に乗るまで気付かない。



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ふと降り立った乃木駅は松江市郊外の住宅地の駅で、

街路樹が美しい通りが
駅前からも見える、素敵な街の駅だった。


本当に何気なく降りただけだったのだが、こうしてちょっと下車して

初めて感じられる街の風景をちょっと味わう時間も悪くないな。と、

そんな思いがした時間だった。


そして、降りてみるまで全然知らなかったことなのだが、

この乃木駅は日本で初めて女性駅長が誕生した駅として知る人ぞ知る駅。

駅構内には、ちゃんとそのことを記念する
スタンプも設置されていた。


こうして1時間ちょっとの時間を過ごしてから、次の列車256Dを迎えた。

わずか一駅だが、先ほどとは違う「ディーゼル車の
エンジン音」を聞き、

ローカル列車の旅をまた楽しむことが出来た。


松江駅に停車した256D列車は11分間の休息をとる。

いかにも時間にとらわれないローカル線らしい鉄道旅行の光景だ。

その間、僕は列車から降りて、列車を見送る準備をしていた。

何度となく目に付く自販機の二十世紀梨
ドリンクに興味は沸きながらも、

この際も手が伸びることはないまま、時間が過ぎていった。


列車の扉が閉まり、エンジンが回転数を上げると松江を出発した。


見送った僕は階段を降りて改札を出た。

そしてまた、
自転車を組み立てて藤田さん家に戻った。


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プロフィール
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smilykaz
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1970/12/19
職業:
ステッカー製作
趣味:
国内鉄道旅行
自己紹介:

けっして後ろ向きの性格ではないが、
昭和の国鉄風情をこよなく愛し、
ちょっと昔なつかしいもの好き。
古いものを大切にする・・・のかも。
思い出の品、焼いもアイス、ラムネ
昭和の香り漂う鉄道旅行、愛好家。

昔風情いっぱいの日本昭和村がある岐阜県美濃加茂市に近い坂祝に本籍地がある。偶然。長良川鉄道やJR高山本線・太多線など鉄道の要所に加え、ちょっと前まであった坂祝セメント貨物など、鉄分もいろいろある所だ。

現在は、日本海側のある街でイラストやデザイン表札の仕事をしている。
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