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JRが国鉄と呼ばれていた「ちょっと昔」に戻ってカズ少年が鉄道の旅へご案内
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名古屋駅のホーム上できしめんを食べて腹ごしらえした僕らは、

駅を見回して目ぼしいものがないか探してみた。

向こうの方に名古屋鉄道のパノラマカーがいるが、僕らの目は国鉄に。



「おうおう、来てる来てる!」そう言って向かった先には特急南紀の姿が。

特急南紀と言えば、最後の最後までキハ82を使い続けた特急であり、

鉄道ファンの間ではとても人気が高かった列車だ。そして当時はまだまだ現役!


鉄道ファン注目のキハ82南紀


こうして写真に収め、ちょっとだけ中をのぞいてみたりして満足したその時、

「あれ、隣に来てる14系客車、何やろ?」

特急南紀の写真を撮っていた時はターゲットに夢中で気付かなかったのだが、

確かに14系座席車が隣りにいる。何だろう。早速そのホームへ。



階段を走りながら列車案内表示を見たが「回送」。

そして行って見ると、特急金星のサボが!

この特急金星は、前年の11月に583系の金星が廃止になった後、

臨時列車として設定され、14系座席車を使った非寝台特急になったものだった。



その後、期待通り特急ひだ、L特急しらさぎを撮ることができた。

それからL特急しなの については、すでに大阪駅で撮っていたから対象外と

考えていたのだが、381系電車に貫通型があるということを初めて知り、

あわてて再びカメラを取り出して撮影した。

振り子式鉄道車両381系。当時は唯一

さて、撮影を終えて帰ろうとしたとき、はせやん が突然焦った様子になった。

その姿はもはや鉄道ファンではなく、悩める旅行者だった。

「おみやげの紙袋がない・・・・。あれに“かみなりおこし”とか入ってんねん。」

(そうか、大切なのは かみなりおこし か・・・・)



鉄道写真撮影に夢中になってしまって、どこで紛失したのかも思い出せない。

僕たちは特急ひだを撮影したホームもL特急しらさぎを撮影したホームも

特急金星が到着したホームも隅々まで歩いた。

そして最後に最初のホーム、特急南紀を撮影したホームに戻った。

そして一番端まで行った所でそこにちょこんとたたずむそいつを見つけた。



「よかった~!」

それにしても、夢中になるというのは恐ろしいことだ。

放置したまま忘れてしまったのは最初の最初の段階だったのに

最後の最後になるまで気付かなかったのだから・・・・・



こうして安心を取り戻し、ホッとしたらおなかがすいた。

もう一度きしめんをいただき、アドレナリンの収まりを感じた僕らは家に帰った。

こうして僕たちの夏休み大冒険鉄道旅行は本当の幕を閉じた。
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急行銀河を降りるとすぐに発車してしまった、そんな心の穴をどうやって埋めるか。

僕とはせやんはポケ~っとして少し考えた。

「意外と小遣い余ったよなぁ」なんて言いながら、財布と相談。

「どっかいこかぁ。あんまり普段行けんとこ。う~んそやなぁ、名古屋なんかどう?」



無茶な会話である。中1とは思えない。

しかし、その無茶をほんとにやってしまうほどのアドレナリンだったのだ。

「名古屋に行ったら、ひだ やろ、南紀 やろ、しらさぎ も撮れるで」



そう言って、快速電車で大垣まで行き、乗り換えて名古屋まで来てしまった。

ついさっき通り過ぎたばかりの所をまた引き返してここまで来てしまったのである。

元気だというか馬鹿としか言いようがない。



でも、すごくワクワクしている。

とは言うものの、よく考えると何も食べていない。

まずは「きしめん」でも食べて腹ごしらえだ。



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国鉄東京駅。この名の場所に来るのはこれが最後。

もちろん国鉄がなくなるなどとは予想だにしなかったが・・・・



さすがに東京駅はこんな遅い時間も旅行客でにぎやかだ。

ホームの発車案内板を見ると、急行銀河の表示と、

もうひとつ「大垣夜行」が表示されている。

大垣夜行といえば今の「ムーンライトながら」のルーツ。

そのムーンライトながらもH21のダイヤ改正で季節化だとか。

東京駅の鉄道旅行風景がまたひとあじ違ったものになりそうだ。




さて、ついに急行銀河の姿が見えた。

20系フル編成の濃紺の車体が深い夜の闇によくマッチしている。

先日見た、九州夜行特急と同じような工程で準備が進む。

その間に僕たちは最後の記念写真を撮った。


                               一番鉄道旅行者らしくない右端がカズ

今やあれから25年、その間に東京へは何度となく行くようになった。

しかし、大沢達也君にはこのとき以来会っていない。

受験シーズンに連絡が途絶えてしまってから何度も引越し

大沢君の
行方が分からなくなってしまったからだ。

彼のことだ、今でもあちこちの鉄道を旅行していると想像するが・・・・


                (今は使われていない、ちょっと昔の切符)

準備が整い、ホームのベルが鳴り響いた。

ベルの音が止まると同時にゆっくり動き出した寝台急行銀河。

照明を半分落としてひっそりした新幹線ホームを横目に見ながら

東京駅に別れを告げながら徐々に加速していった。

今回最後の鉄道旅行の始まりだ。



日中はあんなに華やいで見えた品川客車区や東京機関区も

ブルートレインが次々出発した今ガランとして静まり返っている。



20系の3段式寝台車は古めかしいかと思ったが、そうでもなかった。

僕は上段ベッドに、はせやん は中段ベッドだった。



向かいの上段と中断には米原まで行くという大学生のお姉さんが

二人いて、飴ちゃんを二つくれた。

(あ、この飴ちゃんというのは関西しか言わないそうですね。←妻の指摘)

はせやん は出雲2号に乗った時と同様、すぐに寝た。

旅行最後の夜なのにもったいない・・・

僕は出雲2号の時と同様、通路で外を眺めてしばらくの時を過ごした。



やがて横浜駅を通過「あぁ本当に帰っちゃうんだな」としみじみ感じ、

この寝台車で旅行の最終章にいることがかなり寂しかった。



そしてついに、ぼくも寝ることにした。

翌朝起きれたら米原で向かいのお姉さん達を見送ろうと思っていたが

気が付いた時にはすでに米原を発車して少し経過したところ。

左手に近江鉄道がチラッと見えた。がうとうと・・・。

目覚めると列車は草津を走っているところだった。

考えてみれば結構残り時間が少なくて焦った。



大津を過ぎ、京都に入る辺りはいつものトンネル。

トンネルを抜けると・・・・そこは雪国だった・・・?

いやいや、僕たちの庭、京都駅だった。



ここにきて痛切に大沢達也式ポリシーがすごく理解できた。

「あぁ、もう少しでいいから余韻を楽しみたい!!」

後ろ髪を引かれるような気持ちで列車を降りた僕たちの、

名残惜しむ気持ちを知ってか知らずか、

列車は大阪に向けて走り出してしまった。



さようなら急行銀河!

さようなら初めての夜行列車!

そしてさようならぼくの鉄道旅行!
鉄道旅行三昧の1983年8月。

8日から始まった旅も4日目を迎えた。

この日は秋葉原にあった交通
博物館でかなりの時間を過ごした。

やはり、先日の東急「電車とバスの博物館」や

小田急百貨店の「鉄道展」とは全くスケールが違うと感じた。

ぼくは記念にブルートレイン出雲のヘッドマークの柄のハンカチを

自分用として購入した。



さて、楽しかった鉄道三昧の日々はあっという間に、

まさに飛ぶように過ぎていってしまった。

8月12日夜。

大沢君のお父さんが
イタリアンレストランに連れて行ってくださった。

たまプラーザで最後の晩餐?を楽しみ、大沢君の家に戻って、

帰りの荷物の整理を始めた。

このとき、珍しく大沢君の寂しそうな顔を見たので驚いた。

でも今考えると、僕達が帰る寂しさだったのか、それとも・・・

自分だけここからの鉄道旅行を味わえない寂しさだったのか・・・

CCF20081204_00001_edited.jpg

それはそうと、僕らはいかにも鉄道ファンという記念
写真を撮った。

ちなみに、首からぶら下げた数字は、京阪電車の

車両番号らしい。

特急さくらの指定席のサボも味わいがあっていい。



こうして僕らはついに大沢君の家を出た。

東急SCの横を通り抜け、たまプラーザの駅へ。



僕は記念にとっておきたいと思って、一枚余分に切符を買った。



大沢達也君とご両親、妹さんも
東京まで同行してくれる。

急行半蔵門行き。動き出す列車の窓から、遠ざかる東急SCの姿が。

さようならぁ。初めてのとうきょう~。(ここは横浜だけど)

(僕の中ではいまだに東急百貨店がたまプラーザの象徴的存在だ)




渋谷駅から山手線を上野回りでぐるり。

途中、尾久客車区にたくさん留まっている車両をじっくり眺めた。

もうこれで二度と来られないかのように。

ちょっと昔の主役たちが日中走った疲れを癒すかのような雰囲気で、

みんなひっそりと並んでいた。


そして、上野駅。

ここにも今後来ることは二度とないかのような寂しさを感じながら、

秋葉原、神田をも見送った。



そうしてついに東京駅についてしまった。

いよいよ、今回最後の鉄道旅行が始まる。
踊り子51号を見送った僕たちは、東京駅からふたたび山手線に乗り、

品川回りでぐるっと新宿を目指すことにした。

東京タワーを見て「やっぱり高いわぁ」と感動したのもつかの間。



やはり僕たちの
ターゲットはそれではないのだ。

新宿といえば、やはり
L特急あずさ だ。

東京乗り入れが始まったのはもっと後のこと。

当時は東京や千葉で特急あずさを見られることはなかったのだ。




だが実際に行ってみると、「残念ながら特急ホームには入れません」

と、入場拒否されてしまった。

特急
くろしおを撮ろうとしたあの日の再現。

「やっぱり若い女性が一緒でないと子どもには厳しいのか・・・」

そんな事を考えてしまう出来事だった。

そしてまさにこの出来事が2年後のある行動を引き起こす・・・・・



さて、僕たちは仕方なくあきらめて小田急百貨店に行き、

そこでちょうど開催中だった「
鉄道展」を見ることにした。



そこには当時珍しかったトレインシュミレーターがあって長蛇の列。

今でこそ、電車でGO!などであじわえるが(もう古い?)

当時はほんとうに画期的で、画面を釘付け状態で見つめた。


その日のあとの予定は、東京発ブルトレの16時台に照準を合わせ、

計画を立てていたのだが、それまでの時間はやや持て余していた。

それで、
池袋サンシャイン60に昇ってみることにした。
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プロフィール
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smilykaz
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1970/12/19
職業:
ステッカー製作
趣味:
国内鉄道旅行
自己紹介:

けっして後ろ向きの性格ではないが、
昭和の国鉄風情をこよなく愛し、
ちょっと昔なつかしいもの好き。
古いものを大切にする・・・のかも。
思い出の品、焼いもアイス、ラムネ
昭和の香り漂う鉄道旅行、愛好家。

昔風情いっぱいの日本昭和村がある岐阜県美濃加茂市に近い坂祝に本籍地がある。偶然。長良川鉄道やJR高山本線・太多線など鉄道の要所に加え、ちょっと前まであった坂祝セメント貨物など、鉄分もいろいろある所だ。

現在は、日本海側のある街でイラストやデザイン表札の仕事をしている。
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