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JRが国鉄と呼ばれていた「ちょっと昔」に戻ってカズ少年が鉄道の旅へご案内
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1983年になって小学6年の日々も飛ぶように過ぎた。

その頃、僕の周りには鉄道ファンがいっぱいいたが、

最初から鉄道ファンだと公言し、

僕にも多大なる影響を与えた友達に大沢達也くんがいた。

(大達也かもしれない)



その大沢君が3月いっぱいで引っ越すことになった。

お父さんが保険会社の方で転勤で僕と同じ枚方市に来られ、

2年間社宅におられたがふたたび横浜に転勤が決まったのだ。



そんな大沢君との別れを惜しむ間もないまま卒業式が終わった。

さて、実際のお別れは大沢君らしいものだった。

ご家族はまっすぐ横浜に向かわれるが、

達也君は一人旅で青森に行ってから横浜に向かうというのだ。



だから、僕たちは見送りのため大阪駅に行くことになった。

大沢君が取った切符は日本海1号。

大阪駅9番線ホームからの旅立ちだ。

これから始まる旅の期待でいっぱいの彼の目には涙はなかった。

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年が明けて1983年になって早くもひと月過ぎた。

小学校生活もあと少しという頃、久し振りに母と姉と出かけることに。

京阪電車から近鉄京都線という、一般的なルートで京都駅に着いた。

あえて一般的というのは、僕は国鉄奈良線経由が好きだからだ。



まだ早朝の京都駅2番線。

吐く息が真っ白な寒い朝だった。

安土行きの快速電車を待っていたのだが、やってきたのは

113系の一般的な快速電車ではなく、僕の好きな117系電車だった。



やった~と心で歓声を上げながら乗り込んだ。

混雑する電車の中から外を眺めていたが、

山科まではトンネルの連続だということをあらためて思い出していた。



通り抜けて大津。

かなりの人がここで降りてくれたため、少し楽になった。

でも、膳所、石山、瀬田と、人の入れ替わりはあるものの

人数自体はあまり変わらず、草津駅で降りるまで座れなかった。



一方、乗り換えた草津線は比較的すいていた。

こちらは予想通りの113系近郊型電車だ。

ただ、先頭車前面の行先表示幕が赤地白文字で「草津線」とあった。

だんだんと電車は郊外の風景に溶け込んでいった。

手原、石部、甲西とすすむにつれ、田んぼと雪景色が広がり、

チラチラと雪が舞い始めるようにもなった。



冬の北陸、能登半島の七尾駅で見た雪景色以来、

この「雪の中を走る電車」の風景がたまらなく好きになっていた。

電車は貴生川に着き、雪で少しかすむ向こう側に

信楽線のキハ28がいて湯気が上がっていた。

また、反対側のホームには近江鉄道のかわいらしい電車が

出発の時を待っているようだった。



僕たちはこの駅で降り、この年最初の短い旅行が幕を閉じた。

      (当時の写真は残っていないので、去年16年ぶりに行った時のものです)

1982年11月某日が明けて、修学旅行2日目。

牧野小学校6年生一行は宮島散策に出かけ、

今で言う、世界遺産を見学した。

でも僕の興味はそれよりも宮島駅渡船場前にいた鹿たちに向いていた。


           (当時の写真は残っていないので、去年16年ぶりに行った時のものです)

願いは意外にも早くかない、鹿と触れ合うことができた。



小学校の修学旅行は1泊2日の強行スケジュールなので、

本当に疲れたのだろう。

帰りの記憶はほとんど残っていないのだ。



ただ、新幹線に乗っているとき、

すれ違う列車のサイドの表示幕を瞬時に捉えて「こだま」か・・・

などとつぶやいていたことはよく覚えている。


1982年11月某日(伏せているのでなく覚えていないだけ・・・まだ言うか!)

修学旅行1日目夕方。鉄道旅行ならぬ、国鉄旅行。

(宮島航路は国鉄の営業なのだ)



宮島口埠頭から船に乗るのを待っていたが、かなり混み合っていた。

一クラスあたり45人ほどで4クラスあったため、

「全員乗れるんかな?」と思っていたが、そんな心配は無用だった。

船は予想以上に次々とやってくることがわかったからだ。



ところで、我が校ではおやつ類が支給されていてそれだけに限られていた。

そんな事を知らない高校生の姉が「これ、おやつ買うといたからな。食べや」

と、僕に持たせてくれた。

「いつ食べよう?」と、隠れて食べるタイミングを考えていた僕に、

絶好のタイミングがやってきた。


そう、さわやかな海風と共にチョコレートの甘い香りが流れ去る・・・

そう思って、船に乗った直後に食べだした。


なのに、この日は予想を裏切り「追い風」。

ほのかに甘い香りが周辺に漂ってしまった。


それに気付いたK君が「先生、誰か菓子食ってるで。チョコレート・・・・」

と言い出したのに気付き、急いでそこを立ち去った。

危うくばれそうになった頃、船は宮島に到着し、

K君の言葉も

チョコレートの匂いも

先生の姿も・・・雑踏の中に消えた。

駅(渡船場)の前で点呼し、その日の宿に向かった。


夜はおみやげ屋さんを見て回った。

もみじ饅頭とキーホルダーと和風の小箱を買ったが、

さすが関西人。しっかり値切って買った。


部屋に戻って寝るときにしたことといえば・・・・・

誰もがやった、「枕投げ」だ。

こうして初日はおわった。

1982年11月某日(くどいようだが伏せているのでなく覚えていないだけ・・・)

修学旅行一日目。

平和記念公園や辺り一帯を一通り見学をし、原爆資料を見た後、

僕たちは広島市内から、夜の宿泊地となる宮島に向かった。



観光バスに乗って走る広島市内は広島電鉄の路面電車が

街を彩っているように見えた。

緑色の電車が行きかう中、向こうから異彩を放つ電車が・・・



「あ、ドルトムント号や!」大沢達也君が叫んだ。

僕も「え、うそ~。今月の鉄道ジャーナルに出てた新車?」と聞くと

本当にその車両がやってきたのだ。

名前の雰囲気からも想像がつくと思うが、

このドルトムント号はドイツからやってきた輸入車両で、

このときはまさに到着ホヤホヤだった。

ドルトムント電車 (※写真は当日のものではありません)

バスは国道2号線に出て西に向かった。

途中からは山陽本線と並行して走り、

115系近郊型電車と並んだが当然のごとく、すぐにおいていかれた。


やがてバスは宮島口駅前の交差点を曲がり、渡船場に着いた。

周辺には大きく「もみじまんじゅう」の看板が何枚も掲げられている。

いかにも宮島だ。

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プロフィール
HN:
smilykaz
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1970/12/19
職業:
ステッカー製作
趣味:
国内鉄道旅行
自己紹介:

けっして後ろ向きの性格ではないが、
昭和の国鉄風情をこよなく愛し、
ちょっと昔なつかしいもの好き。
古いものを大切にする・・・のかも。
思い出の品、焼いもアイス、ラムネ
昭和の香り漂う鉄道旅行、愛好家。

昔風情いっぱいの日本昭和村がある岐阜県美濃加茂市に近い坂祝に本籍地がある。偶然。長良川鉄道やJR高山本線・太多線など鉄道の要所に加え、ちょっと前まであった坂祝セメント貨物など、鉄分もいろいろある所だ。

現在は、日本海側のある街でイラストやデザイン表札の仕事をしている。
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