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JRが国鉄と呼ばれていた「ちょっと昔」に戻ってカズ少年が鉄道の旅へご案内
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思いがけず出雲4号を迎えることになった僕は

止みそうもない感激の波におぼれそうな気分だった。


   (DD51→EF65PF 機関車交換待機中の出雲4号。機関車側の面) 

これまでも深夜の
撮影を経験していたものの、

これまで
大阪駅しか念
頭においていなかった僕は

大阪を通らないブルトレ「出雲」の存在をほとんど意識せず、

時刻表も改めて確認していなかったのだ。

しかし、まさにこの瞬間が来年の旅行の伏線となった。
        (詳しく知りたい方は こちらのブログへ)


さて、出雲4号の周辺は慌しく動いていた。

DD51
ディーゼル機関車からEF65PF機への交換が行われ、

出発の準備が整い、列車は京都から去っていった。



ちなみにこのころの出雲は2往復を誇る存在であり、

山陰という特殊区間を走るためディーゼル機関車でもあり、

余部鉄橋ほか撮影名所も多く根強いファンと需要があった。

まさに現役バリバリのいぶし銀のような選手。



それに対し、今回のお目当て「金星」は、引退目前の選手。

まして、華々しいセレモニーで見送られる上野口特急たちとは

対照的なひっそりとした去り際。そんな彼にエールを送りたい。



やってきた金星号の姿は本当に美しかった。

今まで写真で見たよりずっと綺麗な紫色にヘッドマークが輝き、

まるで最後の力を振りしぼっているようにも見えた。



後日談になるが、大阪の交通科学館に行ったときのこと、

前回、金星のヘッドマークだった583系の展示車は

「なは」のヘッドマークに変更されていた。

「時刻表にもこの場所にも残してもらえなかったね・・」
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今に始まったことではないが、ダイヤ改正の話はそのほとんどが

鉄道ファンにとって胸を痛める内容だ。



それは丁度この時期に聞くスポーツ選手の戦力外や引退の

ニュースにも似た寂しさのような気がする。

しかも、消えてゆく列車たちにはほとんど生き残りの道はない。

ごく一部、まったく違う場所で名前だけ残るようなケースが

あるにはある(白鳥・つばめ 等)が、もうそれは別物だ。寂しい



1982年11月14日、そこまで神妙になっていたわけではないが、

なんとなくそんな事を考えていた。



さて、あまりにも急展開の撮影会だったため、

僕はほとんど前準備も下調べもなく京都駅に到着していた。

そんな中、流れた構内放送に意外な驚きと喜びを大いに感じた。



「長らくお待たせいたしました。1番線に列車が参ります。

東京行き寝台特急出雲4号がまもなく到着です」

 修学旅行から帰ってわずか数日

1982年(昭和54年)11月と聞くと、

多くの鉄道ファンの印象深い月ではないだろうか。

上越新幹線開業で、上野口の特急が大量に廃止されたあの時。

はつかり、やまばと、ひばり、とき、みちのく・・・・

そんな関東の動きが大々的に報じられていた中で、

静かに幕を引こうとしている夜行列車があった。

名古屋と博多を結んでいた「金星」号だ。



こんな事を言っては失礼だが、関東の鉄道ファンはもとより

関西の鉄道ファンにとっても非常に地味な存在。

下りの場合、京都発が深夜の午前1時17分。

だから当然大阪での客扱いは行われていない。



それでも、僕には僕なりの思い入れがあった。

日中撮られた写真などではヘッドマークが紺色に見えるのに

夜に撮った写真だと紫がかっていてとっても綺麗なのだ。



そんな話をしていた11月10日夜、

親父は「よし、写真撮りに行こか」と突然言い出し、

僕に車に乗るようにと言った。

あまりの突然に呆然としながらも、「・・・あ・・・うん・・いくいく」

とカメラだけを手に取って出かけた。



すでに夜11時過ぎ。国道1号線を北上し一路京都へ。

夜の国道は車も少なく、びゅんびゅん走る。

しかし、ふと燃料計を見ると、ガソリン「E」。

「大丈夫なん?ほんま大丈夫なん?」と何度も聞いたが、

親父は「ガス欠したら、車の中で寝たらええねん」と気にもせず。



なかなかのスリルの中、とりあえず京都に到着した。

時刻は間もなく0時を迎えようとしていた。

1982年10月11日午後、僕たち一行は大阪環状線に乗り、

交通科学館がある弁天町駅に向かった。

途中、西九条駅で桜島線が見えた。

現在のようにUSJで賑わうようになるはるか昔。

寂れたホームの印象は拭えない。



交通科学館はわくわくするようなものでいっぱいだった。

大好きなEF58や583系寝台特急電車 金星、

それにマイテ49展望車もまだそこにあった。

ひと通り見学して楽しんだ後、僕たちは再び大阪駅に戻るのではなく

さらに進んで天王寺駅にもつれていってもらった




天王寺駅と言えばお目当てはもちろん381系特急くろしお。

最初、大阪環状線の乗車券では特急のホームには入れないと

駅員に阻止されたが、先生が相談してくれたおかげで入場できた。

(ん~、女ったらしめ!)

ホームに下りるとそこにはすでに特急くろしお が留まっていた。

到着したばかりのようで、行き先表示がうごきだした。

僕は何ともいえない妙な写真を撮ってしまった。



しかも、その後は回送になってしまい、写真はこの一枚だけ・・・

まぁでも貴重な写真と言えば貴重なのかも。



その後、急行きのくに を見てからふたたび大阪環状線に乗り、

京橋へ行き、京阪電車で枚方のそれぞれの家に帰った。

それにしてもいまさらながら、小林先生、ありがとうございました。

そして、その体力と顔利きには恐れ入りました!。
サプライズ・・・サプライズ・・・サプライズにもいろいろだったが、

表示違いのサプライズなら、その日もう一つあった。

九州から到着した寝台特急明星が停車したときにふと見ると、



サイドの表示幕が違っている車両があったのだ。

そこにはなんと「
あさかぜ1号」と書かれていた。

こんな風に東京発の名前があることにも驚きだったが、

「1号」と号数まで書いてあるものを見たのは

後にも先にもこの一度しかない。



さて、時間はあっという間に過ぎていき、

11時半になるころ
名古屋から急行比叡165系がやってきた。



少し前までは153系だったらしいが変更されたようだ。

と言っても、今ではすごく懐かしい。(0000Mとはどういうこと?)



僕たちはその後、小林先生に同行してもらって

交通科学館に行くことになった。

大阪環状線にレッツゴー!!
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プロフィール
HN:
smilykaz
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1970/12/19
職業:
ステッカー製作
趣味:
国内鉄道旅行
自己紹介:

けっして後ろ向きの性格ではないが、
昭和の国鉄風情をこよなく愛し、
ちょっと昔なつかしいもの好き。
古いものを大切にする・・・のかも。
思い出の品、焼いもアイス、ラムネ
昭和の香り漂う鉄道旅行、愛好家。

昔風情いっぱいの日本昭和村がある岐阜県美濃加茂市に近い坂祝に本籍地がある。偶然。長良川鉄道やJR高山本線・太多線など鉄道の要所に加え、ちょっと前まであった坂祝セメント貨物など、鉄分もいろいろある所だ。

現在は、日本海側のある街でイラストやデザイン表札の仕事をしている。
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