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JRが国鉄と呼ばれていた「ちょっと昔」に戻ってカズ少年が鉄道の旅へご案内
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富士はやぶさ最終列車がそれぞれの地を出発して早くも4日目。

東京~九州の線路上のどこにも彼の姿はない。



しかし、ありがたいことに今日ようやく銀塩写真が出来上がってきたのでご紹介。

時は3月3日火曜日。残り10日の時点の下関駅だ。鉄道ファンもちらほら。


この駅は停車時間は5分あるとはいえ、けっして十分な余裕があるとはいえない。

EF66連結シーンの動画も撮りたいとか見所が多く、しかも遅れてやってきたりして、

それらを差し引いたら残りはわずかな時間だ。


だからあまり欲張らず、ポイントを絞って写真を撮ろうと割り切っていた。

そんな中でどうしても撮っておきたかったのが上の写真。

なんてことはない方向幕の写真なのだが、僕には再挑戦の意味があった。

実は、1月に新山口駅で同じようなアングルでデジカメを使って写したのだが、

すっかり白飛びして、文字はうっすらとしか写らなかったのだ。


だからこの度はしっかり絞って1/125で写してみた。うん。自分なりに納得。


もう一つは、ブルートレイン全盛期を思わせる、編成が長く見える写真。

実際にはEF66も少し含めたかったのだが、そのあたりはロープが張られていて、

厳戒態勢(初期状態だが)が敷かれていたのでビジュアル的にいまいちで、

結局そこを避けて撮影することにした。



発車直前のためか、うそのように人が写っていない。

実際は旅行者が車内からうわぁ~っと出てきてホームに溢れ返っていたのだが。

発車のベルと同時に・・・消えた!


写真について欲を言えば、もう少しアングル低くしたらもっと長く見えたのに、

その時は思いつかなかった。ちょっと残念。



動画ありの富士はやぶさ記事は姉妹ブログ「ぼくの鉄道旅行コレクション・・・」内
変わりゆく鉄道旅行-惜別特集   からご覧ください。

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東京発のブルートレインが全盛期には10往復あったとニュースで報じられていた。

それで、例にもれず僕も数えてみることにした。

まず、① さくら ②はやぶさ ③ みずほ ④ 富士 ⑤⑥ あさかぜ1~4号 

⑦ 出雲 ⑧ 瀬戸 ⑨ いなば(後の出雲2・3号) ⑩ 紀伊

ということになるのだろうか。

すこしややこしいのが、いなば と 紀伊で、この両者は併結運転されていたため、

1往復なのか2往復なのか・・・・2往復と数えるなら、さくら や みずほの分割は?

など、数え方にいろいろな定義が必要になってしまう。



それで、数え方に合わせていくつかの言い方を考えた。

  ・列車名を基準にすると10往復走っていた。

  ・行き先別でカウントすると12往復走っていた

  ・少なく見ても9往復走っていた

  ※急行銀河をブルートレインとしてカウントするとさらに1往復。



まぁいずれにしても大きな勢力を誇っていたのだなぁと今さらながら感服する。



とはいえ、削減・廃止は紀伊が最初(と思われる)。

ということは早い段階1984年2月で始まっていたことになる。



僕自身は、偶然始めてのブルートレイン旅行で選んだ列車が出雲2号で、

この廃止第一号の紀伊と併結するシーンを見ることも出来た。

いまでも鮮明に覚えている。

やはり彼らは思いにしっかりと刻み込まれるような旅を演出してくれていた。

そう思い、ありがとうの気持ちがまたこみ上げてくる。



動画ありの富士はやぶさ記事は姉妹ブログ「ぼくの鉄道旅行コレクション・・・」内
変わりゆく鉄道旅行-惜別特集   からご覧ください。

名古屋駅でブルートレインを次々迎えたこの夜。

記憶はおぼろげではあるが、1994年の秋のことだったと思う。

東京駅で彼らすべてを追いかけていたあの日からもう11年の歳月が流れた。

まず、大きく変わったのが牽引する機関車。


僕はEF65P世代ではなく、もう65PFに替わっていたのだが、

その機関車の活躍期間は意外と短かったようだ。

EF66が先頭に立ち、さくら のヘッドマークの配色が変更になっていた。



ピンクと緑。

いかにも桜という感じだが、日本人の桜のイメージは葉桜より花びらではないか?

そう思い、幾らか違和感を感じたのを覚えている。


次に来るのは、はやぶさ。基本的にはあの頃のダイヤと大きな違いはない。

「先頭の機関車も撮りたいが・・・・後も撮りたいな。」

考えた結果、後に回ることにした。先頭は流し撮りで・・・と考えたが案の定失敗。



車体はまだまだ鮮やかなブルーに輝いている。

そして、全体を取り巻くシルバーのライン。

まだまだ勢いがあると信じられた時代の姿だ。


続いて到着したのが特急みずほ。



実はこの直後に臨時列車格下げの正式決定。

そしてわずか2年後の1996年。完全廃止となってしまう。

「確かに長崎・熊本行きだとどちらも、さくら・はやぶさ にかぶってるからなぁ」

と当時は思ったりしたが、あれは今日という日の序曲にすぎなかったのだ。


ぼくはこの後大垣夜行に乗って東京に向かったため、

またしても撮影会は みずほ号を最後に終了。

あの大阪駅の夜の再現のようだった。


富士とは列車ですれ違い。走り去る姿ばかりイメージに残る富士。

あくまで個人的印象だが。




動画ありの富士はやぶさ記事は姉妹ブログ「ぼくの鉄道旅行コレクション・・・」内
変わりゆく鉄道旅行-惜別特集   からご覧ください。
昨日ついにすべての営業運転を終了した富士はやぶさ。

カウントダウンが終了したので、思い出として振り返る企画をもう少し続けたい。

僕にとって最初の出会いは、はやぶさの方。

1981年の初秋のことだ。

寝台特急はやぶさ大阪駅到着






それは、日付が替わってすぐの0時15分ごろの大阪駅でのこと。

東京駅から15分間隔で出発するブルートレインの2番手として、

さくら号に続いて到着する、はやぶさ号。

写真の通り、当時はEF65 1000番台だった。

さくら の華やかな雰囲気のヘッドマークも好きだったが、

一転してクールな印象のはやぶさマークもかなり魅力的だった。

さて、大阪駅の客扱いは0時半ごろの特急みずほ号を最後に終了し、

僕の、富士との出会いはおあずけとなった。


しかし、富士との初めての対面がかなったのは予想外の場所だった。

それは1983年8月。中1で東京に旅行に行く途中のこと。

ブルートレイン出雲2号に乗った僕たちは車窓を眺めていたのだが、

岐阜県の垂井を通過し、大垣手前の新垂井迂回線との合流地点付近で、

その迂回線経由の富士がクロスする線路下に入って行くのが見えたのだ。


確かに、さくら、はやぶさ、みずほ まではすれ違ったはずだが、

なかなか姿が見えず「見落としたのかな」とあきらめた頃にやってきた、

ブルトレ・クロス シーンだった。

 
ブルートレインはやぶさ号東京を出発 
そして次に出会ったのは東京駅。

ブルートレインのブーム真っ只中であり、

東京駅9、10番線はファンでごった返していた。

さすがに3000人も詰め掛けてはいなかったが・・・。

この日、ついにゆったりと迎える富士との対面がかなった。

当時の品川客車区から東京駅入線。EF65の機回し。そして連結。

人がいっぱいだが、時間もたっぷりあり、存分に楽しむことが出来た。

ただ、残念ながら当時の写真の多くが紛失状態にあり、見当たらない。


その後、各地への旅行に伴って彼らの姿をチラッと見たり、

偶然にも車で併走したことさえ何度かあったことを思い出す。

そして、久し振りに駅でブルートレインの写真を撮ったのが名古屋駅。

この日、名古屋から上りの大垣夜行に乗ろうと思い、待っていたのだ。




動画ありの富士はやぶさ記事は姉妹ブログ「ぼくの鉄道旅行コレクション・・・」内
変わりゆく鉄道旅行-惜別特集   からご覧ください。
国鉄時代から半世紀、東海道から九州への鉄道旅行の歴史が幕を下ろした。

この最後の朝、沿線各地でその想いを露わにしている人たちがいただろう。

手を振る人、カメラを構える人、涙を拭う人。それぞれの想いで彼を見送っていた。

もちろん僕もその数多くの人たちの中の一人だ。




僕が最後の見送りに選んだ場所は、このダイヤ改正で特急が来なくなる宇部駅。

実を言うとこの駅で彼を迎えたことは今までなかった。

しかし、最後の雄姿を写すとき、全体を収めたいという願いがあった。

そのためには向かいのホームからの距離が近い駅であること。

ここで新山口は除外することにした。

もう一つの願いは、焦らずしっかり目に焼き付けたいというもの。

それは停車時間の長さというよりも、人で溢れかえらない駅という条件が。

そのようなわけで、下関は除外した。

さらにもう一つの願いはEF66での姿が見られるところ。それで下関より西は×。

・・・ということで防府駅と比較した末に選んだ。



さてこの最終日だが、京都あたりまではあまり大きな遅れはでていない、

との情報を得て、安心して床に就いた。明日の朝に備えなくては・・・・。

そして、朝6時過ぎにスッと起き上がり、山口県北部の自宅を出発。

宇部までは車を飛ばして予定通り1時間15分くらいで着き、

7時半過ぎには改札の前に立つことができたのだが・・・・。


そこで目にしたものは!



94分遅れとの案内が。

上り富士はやぶさ東京行きが昨日の夜1時間以上の遅れだと聞いていたが、

同じようにして下りまでもが・・・

というわけでこの日の予定は大きく狂ってしまったが、

考えてみると僕たちはそんな風に時間がゆっくりと流れるようなこいつを、

時にはあこがれの目で、そして、いとおしく思ってきたのだ。

だから、「いいよいいよ、気をつけておいで!」なんて言ってやりたくなる。



さて、列車の遅れは110分まで拡大して、9時45分に4番線ホームにやってきた。

ホーム上、多少の混雑はあったが、東京駅のように怒号が響くこともなく、

みんなで最後の一時を共有していた。




そして、理由不明だが、1分の停車時間のはずが4分間も停車。

大サービスの末、9時49分の出発となった。

本当に長い間ありがとう。お疲れ様。





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1970/12/19
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ステッカー製作
趣味:
国内鉄道旅行
自己紹介:

けっして後ろ向きの性格ではないが、
昭和の国鉄風情をこよなく愛し、
ちょっと昔なつかしいもの好き。
古いものを大切にする・・・のかも。
思い出の品、焼いもアイス、ラムネ
昭和の香り漂う鉄道旅行、愛好家。

昔風情いっぱいの日本昭和村がある岐阜県美濃加茂市に近い坂祝に本籍地がある。偶然。長良川鉄道やJR高山本線・太多線など鉄道の要所に加え、ちょっと前まであった坂祝セメント貨物など、鉄分もいろいろある所だ。

現在は、日本海側のある街でイラストやデザイン表札の仕事をしている。
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